私がまだ小学生のときでした。たしか五年生だったか六年生のころです。父から時計をもらいました。金の時計でした。
私は小学生だったので、単純に光るものが好きでした。
金の時計もただただ格好よいとだけ思いました。
父は私にこの時計は部屋に飾っておくようにといいました。
つけては駄目だというのです。私は父の言いつけを守りました。金の腕時計を壁に吊るしておいたのです。
そして、時々、眺めてはいい気分になりました。
中学生くらいになると、金の価値がわかってきました。
友達に、これはたぶん高級なものだと言われたからです。
うちに遊びにきた友達が、冗談半分で、ポテトチップスを食べたあとの手で触って遊んだりもしました。
偽物だといって、私をからかうこともありました。
その時の私は、なぜこんな高価なものを、父がくれたのか不思議でした。
子供が持ちすぎるには高価過ぎます。
おもちゃにするのには価値がありすぎます。
もっと大人になってから、くれるものではないかと思っていました。
その疑問は、私が大人になってから解けました。
父がくれた金時計は、一言でいって、ダサかったのです。
子供のころは、ピカピカに輝いていて格好良く見えました。
しかし、すこし大人の目で見てみると、金色というのは、なんというか、ただの成金趣味に見えます。
思えば、父がこの金の時計をしているところを見たことがありませんでした。
母によると、この時計はそもそももらいものらしいのです。
会社の集まりかなにかの、ビンゴの景品でもらったとのことでした。
父はとても付けていられなく、子供が喜びそうだからと、私にくれたのでした。
しかも、くれたはいいけれど、きちんと保管しておくように言いつけるあたりが、なんともケチ臭く感じました。
私が父にそのことをいうと、父は笑って、じゃあ売ってこいというのです。
俺もいらないから、お金にしてこいというのです。
私は、金の買取の店に出かけました。
最近、近所にできた小さいお店でした。
金の相場がわからないのでドキドキしました。
査定中は、割といいお金になるのではないかと思っていました。
それこそ、十万、二十万円を期待していました。
ところが、査定したあとの金額は、三万五千円でした。
微妙な結果でした。
おそらく、私が期待しすぎたのがいけなかったのでしょう。
がっくりうなだれて帰ったのですが、帰り道の途中に、三万五千円というと、まあまあのお金だと気づきました。
そもそも、タダでもらったものだからラッキーだと、幸せな気分になり、家族に寿司を買って帰りました。